東京ビッグサイトで開催されたコミックマーケットを訪問した。「奇書ミシュラン」と名付けた変な本を扱うブックガイドを出品していたのだが、想像していたよりも多くの方に手に取っていただけた。(詳細はこちら)
このコミックマーケットにて、某同人書籍の付録として配られていた『小林昌樹が選んだ「調べの本」50選』という冊子がたいへん面白く、研究のための文献一覧はそれだけでコンテンツになると改めて思う。
なお、「初期のジャズ」の事典編纂のための参考文献もまとめているので、よろしければこちらをご覧いただきたい。(参考文献リスト)
ニッチなジャンルの書籍は、すぐに絶版になってしまい、上記のリストについても、既に多くの書籍が入手しにくくなっているのが残念。
さて、本題である。
ジャズ史編纂という活動を進めていくにあたっては、偉大な先達の研究者の方々を無視するわけにはいかない。
日本におけるジャズ批評家および研究者といえば、その名前を挙げるのは必然とも言える油井正一先生がいらっしゃる。海外のジャズ史研究家に比べても、そのジャズ史観の説得力は勝るとも劣らない方である。
「ジャズはニューオリンズで起ったのではない」という説をとなえる人がある。そういう説に耳をかす必要はない。いつの世にも横紙やぶり的な言葉を弄する人がいるものだ。ジャズはまさしくニューオリンズで起った。「ジャズの歴史物語(油井正一著)」からの引用
まず、クリオールというニューオリンズ特有の階層について説明する必要がある。
クリオールはスペイン人やフランス人と黒人の混血であり、白人同様の身分が保証されていた。彼らの中には、黒人奴隷を使った農場を経営する者も多く、商売で成功し、文化的・経済的にも重要視されていたのである。
クリオールの富裕層の中では、子どもたちにヴァイオリンやピアノを習わせることも珍しくはなく、結成された交響楽団がオペラ劇場で演奏していたという話もある。このクリオールの最盛期は1850年頃と言われている。
しかし、クリオールの繁栄は長くは続かなかった。南北戦争終結(1865年)に伴い、奴隷解放令が実施されると、これが黒人奴隷たちの地位を引き上げるとともに、クリオールの地位転落をもたらした。
奴隷の労働力に頼り、貴族的な生活を営んでいたクリオールにとって、労働契約を結び、賃金を払わなくてはならなくなったことは大きな痛手であった。生活に大きな影響を受けた白人たちの怒りは、元奴隷の黒人たちだけでなく、黒人の血を引くクリオールに対しても向けられたのである。
当初は、クリオール商人に対する不買運動のような活動だったと言われているが、クリオールの地位と経済力が徐々に奪われていくという現象が起きた。決定打は、1894年に制定された人種隔離法案であり、この法案が成立したことにより、クリオールは制度的にも黒人として扱われることとなった。
クリオール没落という現象は、結果として、ジャズ発祥に大きな役割を果たすこととなった。
音楽教育を受けておらず、力任せの演奏をすることが多かった黒人たち。高等な音楽教育を受けており、正規の演奏法を身に付けていたばかりか、楽譜も理解できたクリオールたち。
地位が上がった黒人奴隷の子孫と地位が下がったクリオールが、対等に近い立場で出会ったことで、ジャズという音楽が生まれる下地ができたのである。
南北戦争がジャズの発祥に与えた影響は、奴隷解放令に伴うクリオールの没落だけにとどまらない。
実は、南北戦争終結時に、南軍の軍楽隊が放出した楽器が中古市場に安価で出回り、これによりアメリカ南部の貧しい黒人コミュニティでも楽器を入手しやすくなったという背景もあった。
さらに、奴隷解放令によって自由を得た黒人たちが日銭を稼ぐためにブラスバンドを組織し、演奏を行っていたことも、ジャズ発祥の土壌となった。
そもそもの話、ジャズとは一体どのような音楽なのだろうか?
1940年代に登場したビバップ以降のスタイルだけをジャズと見なす意見を見かけたこともあるが、ジャズのルーツはもっと古く、多様である。ここでは、19世紀末にアメリカ南部で発祥した一連の音楽を指して、ジャズと呼ぶことにしたい。
ジャズはその発祥期から1970年代のフュージョンに至るまで、様々な形で進化を遂げてきたわけだが、ジャズを明確に定義することは困難にしているようだ。
ジャズの定義を考えるにあたって、その音楽的な特徴を並べてみた。
ただ、ジャズと呼ばれる音楽が上記の要素をすべて充たしているかというと、そうではない場合も多い。
更に、ジャズの一番の特徴と思われる即興演奏については、バロックやルネサンス期のクラシック音楽においても重要な要素であり、ジャズ特有の要素とは言えない。
結局のところ、ジャズを音楽的に定義することは難しいが、上記に並べたような要素が、さまざまな形で組み合わさることによって、ジャズ特有の特徴のあるサウンドが生まれるのだと思う。
そして、次に考えるべき疑問は、このような特徴を持つ音楽がアメリカ南部以外では生まれなかったのだろうか?という点だ。
今回は、音楽教育を受けたクリオールの存在と、その没落がジャズ発祥に果たした役割に触れた。
次回は、そもそも19世紀後半のアメリカの音楽事情はどうなっていたのか?アメリカ南部以外では、どのような音楽が演奏されていたのか?というあたりを語ってみたい。