文章を書く上での語尾には、いわゆる「だ・である調」と「ですます調」があるわけですが、創刊準備号にあたる第0号と前回の第1号では「だ・である調」を採用していました。
これは、後々、ニュースレターのコンテンツを「Encyclopedia of Early Jazz」の方にまとめる際の手間を考えてのことだったのですが……
皆さまに語りかけるイメージのニュースレターという形式だと、どうしても「ですます調」の方が書きやすい、ということに気が付きました。
今後は、こっちのスタイルで行こうと思います。
本業の方の案件獲得の営業がひと段落したことを受けて、少し時間ができたこともあり、ディスカバー・トゥエンティワン社が主催する「出版業界向けAI活用セミナー」に参加してきました。
生成AIを活用すると、構想や下書きの時間が半減する一方で、その後の編集にかかる時間が増えるというデータもあり、コンテンツ作成における時間の割き方は、今後、大きく変わっていくのだと思います。
オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jass Band)がニューヨークで初のレコーディングをしたのは1917年1月のこと。これは「ジャズ」という言葉を謳い文句にしたバンドによる最初のレコードとなりました。
この頃から、印刷物にも「ジャズ」という単語が定期的に表されるようになったわけですが、ジャズという言葉が初めて使われたのは、それよりも更に前のこと。1913年3月6日発行のサンフランシスコ新報においてであったと言われています。
とは言っても、「ジャズ」の綴りは、Jaz、Jas、Jass、Jaszのような表記も見られ、Jazzという表記に落ち着くのは、もう少し後のことになります。
ジャズという言葉の誕生は、1913年頃(もしくは、その少し前)ということになるかと思いますが、当然のことながら、ジャズという言葉が生まれる前に、ジャズのような音楽は存在していました。
例えば、W.C.ハンディ(W.C.Handy)が作曲した「メンフィス・ブルース(Memphis Blues)」の楽譜が出版されたのは、1912年9月23日のことです。こうしたジャズ楽曲の出版市場が存在していたということは、ジャズという音楽の成立した時期を示す証拠のひとつです。
更に述べるとすると、ジャズに特徴的なシンコペーションのリズムを持った音楽は、19世紀末から20世紀初頭には、アメリカの各地で演奏されていました。例えば、ラグタイム、ケークウォーク・ダンスなどがそれに当たるのですが、こうした音楽は、ミンストレル・ショーの旅回りの興行を通して、各地に広まっていったのです。
シンコペーション(Syncopation):
強い拍と弱い拍の位置を通常と変えて、リズムに変化を与える形式。
ラグタイム(Ragtime):
1890年代にミズーリ州から流行し出したシンコペーションに特徴があるピアノの演奏スタイル(および、楽曲)。即興演奏などは行わないのが一般的であった。
ケークウォーク・ダンス(Cakewalk):
19世紀後半に演奏され踊られたダンスの一種であり、その名称は、白人の雇用主が黒人たちに踊りを競わせた際に、賞品としてケーキを出したことに由来する。
ミンストレル・ショー(Minstrel Show):
19世紀半ば頃から20世紀初頭にかけて、アメリカで人気を博した独自の舞台芸能。黒人の訛りや動作、踊り、歌などの特徴を真似た白人の歌手やコメディアンにより芸としての形を確立したが、後に、黒人によるグループや一座も登場する。19世紀後半には、大掛かりな一座が組まれ、劇場での長期上演や巡業なども行われていた。
シンコペーションのリズムを持った音楽と同様に、ブルースも、ジャズ発祥に大きな影響を与えただろうと思われます。
ブルースは、スピリチュアルソングやワーク・ソングを源としており、主にギターや素朴な民族楽器による伴奏と歌い手による独唱で歌われ、しばらく経つと楽器だけでも演奏されるようになりました。
この音楽が「ブルース(Blues)」と呼ばれるようになったのは、1910年代だと思われますが、その音楽自体は19世紀から演奏されていたはずです。
ジャズに大きな影響を与えたラグタイムとブルースは19世紀からアメリカ南部以外の地域でも演奏されていたことは、無視できない事実です。
次号については、閑話休題として、草創期のジャズにまつわる小ネタを紹介するつもりです。
「19世紀から20世紀初頭の音楽的な流行」の後編は、アメリカ東部、南西部、中西部の各地の音楽事情をまとめた上で、第4号としてお送りします。